北海道救急医学会救急隊員部会十勝地区会十周年記念式典(2001.11.16)から

 橋本は平成10年から13年まで帯広第一病院に勤務していました.

 平成10年に帯広市内のホテル若松において,帯広十勝地区の救急隊員に『整形外科における救急処置の実際』について講演をしました.その縁で北海道救急医学会救急隊員部会十勝地区会十周年記念式典の記念誌に原稿を依頼されました.

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橋本 英樹 先生
札幌市中央区 伏見啓明整形外科
元 財団法人 北海道医療団 帯広第一病院に勤務

■救急隊員の熱い情熱にあおられて
 10周年おめでとうございます。私は現在、札幌市中央区南14条西19丁目で伏見啓明整形外科を4月より開設しておりますが、平成10年8月より平成13年2月まで帯広第一病院で整形外科を担当させていただきました。


 帯広十勝は、石狩平野とほぼ同じくらいの面積があり、また、人口35万人を有する広大な医療圏でありますが、いわゆる二次救急以上の体制を有する病院は帯広厚生病院、帯広協会病院と帯広第一病院の3つのみです。その内の一つである帯広第一病院の整形外科を担うということは、ある意味で帯広十勝圏の福祉と健康を3日に1度担うと言うことでもあり、その責務は自分にとって支えるにはあまりあるほど重たいものでした。


 平日はもちろん、土曜日曜、昼夜を問わず、事故は起こるもので、その都度、患者さんは救急隊によって運び込まれてきました。朝、いつも通り何気なく病院へ行くと、外来で外傷患者を私が登院するのを見越して寝かせてあると言うことも、珍しいことではありませんでした。


 ただ、自分にとっては職業柄珍しいことではなくても、救急車で運ばれると言うことは、患者さんひとりひとりとその家族の人生と将来を左右するたいへんな場面でもあります。
 その様な場面に整形外科医として相対すると言うことは、医師として名誉なことであるとは思いますが、精神的にかなり大変なことでもあります。時には疲労がたまって「まいった」をしたくなることもありましたが、救急隊の方々の、「必ず治してくれよ」という熱い情熱にあおられるように、参ることなく仕事を遂行することができました。


 また、医師の錬成は例えるならば、戦闘機乗りの錬成に似たところがあります。つまり実戦を積んでこそ、腕が磨かれるものです。帯広での救急外傷の症例一例一例が実戦であり、その一例一例を経験するごとに医師として成長してゆく自分を実感できました。そして結果として、実りある帯広時代とすること
ができました。


 このような帯広での実りのある日々を送らせていただけたのも、病院職員の方々のサポートと救急隊員皆様の男臭い情熱のおかげと感謝しております。
 貴会が発足10年目を迎えられたこと、心からお慶び申し上げます。また、さらなる発展を遂げられんことを願っております。

帯広第一病院


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